コンセプト

それは、東日本大震災で発生した津波の流木からつくられたヴァイオリン。

震災後、被災地では至るところに大量の流木が積み上げられました。
日々伝えられるニュースでは、それを「瓦礫の山」と呼んだ。

しかし、その流木たちは決して「瓦礫」などではないのです。

それは被災地で生まれ育ち、幾年もの間人々の営みを見守ってきた木々。
それは震災前、家屋の床柱や梁に使われ家庭をあたたかく見つめていた木々。
その一本一本に、歴史や香りが詰まっているのです。

倒壊した家屋の柱や流木をヴァイオリンとして生まれ変わらせることで、
宿されている東北の故郷の記憶や思い出を、
音色として語り継いでいくことができるのではないか。
その思いから、ヴァイオリンドクター中澤宗幸氏によって、
一挺のヴァイオリンが製作されました。

被災地復興の旗印となるよう願いを込めて、
魂柱には陸前高田「奇跡の一本松」の木片が用いられ、
裏面にはその姿が描かれています。

どれだけ時が流れても、自然への畏怖の念を忘れず、東日本大震災を決して風化させないこと。
そして”TSUNAMI VIOLIN”の音色の響く場所に人々が集うことで、地域、家族の絆がより深まること。
さらには、
このヴァイオリンが演奏家の手から手へ受け渡されていく過程で、
日本全体のつながりが強くなっていくことを、願ってやみません。

現在ヴァイオリン4挺、ヴィオラ2挺、チェロ2挺が製作され、
世界中で、その記憶を語り響かせ続けています。

TSUNAMIヴァイオリンの製作経緯、演奏リレーについて

2011年12月9日、島田基正氏(長野県上田市在住・上田第三木材経営)、大庭泰三氏(東京都八王子市在住)、中澤宗幸氏(東京都渋谷区在住・ヴァイオリン製作者)の3名で岩手県陸前高田市に行くため、一関市から日當和孝氏(岩手県久慈市在住・マルヒ製材経営*津波で工場を流される)の案内で陸前高田市に向かいました。

日當氏の案内で市内の一本松や瓦礫、流木の山を見て廻り、家屋に使用されていたと思われる松材や堅木などを集め、裁断してヴァイオリン2挺分を持ち帰り、残りの材料を日當氏の工場に預けました。

TSUNAMIヴァイオリンの材料としては、表板には『松』、裏板と横板には『楓によく似た硬い木』を使用しています。

2011年12月31日までに材料の荒削り処理を終え、2012年2月中旬に白木状態で完成し、そこから音出しとニス塗りに取りかかり、完成ではありませんでしたが、陸前高田市で行われた2012年3月11日の慰霊祭でイヴリー・ギトリス氏による献奏し使用可能な状態まで出来上がりました。

ヴァイオリンの裏板には、中澤氏の古くからの友人である二胡の演奏家・画家である武楽群氏が、被災地の復興を願い“奇跡の一本松”をモチーフとした絵を描きました。演奏で絵が薄れるとその度に描き直し、楽器のシンボルとなっています。

現在、ヴァイオリン4挺、ヴィオラ2挺、チェロ2挺、分数ヴァイオリン1挺が出来上がっています。

演奏者は2017年3月、500人を超え、現在も世界中の音楽家による演奏リレーが続いております。

※ネット上で「震災ヴァイオリン」、「流木バイオリン」、などいろいろな間違った名前が記載されていますが、正式な名前は「TSUNAMI VIOLIN」になります。